入力と出力

このBlogは、2015年5月に投稿されたものです。

リクエストがあり再度投稿いたします。

 

先日ある番組に日本画家、華岳の作品が取り上げられており、とても興味を惹かれました。
彼は1888年に生まれ、52年間の短い人生の中、自身の中に在る、とてつもない暗闇を知り、
何ものからも逃れることの出来ない葛藤や苦悩を、最後まで持ち続けました。
彼が生涯をとおして生み出した作品の根底には、様々に形を変えながらも、
深憂で沈鬱な感覚が常につきまといました。

「我々は沈黙の時、恐ろしいものを見つけ出す。
自分はそれに触れまいとし、逃れよう誤魔化そうとしている。
闇の中に嵐が吹く。
真っ黒な深夜に、恐ろしい嵐が轟々と吹いているのだ。
その中を真裸で何ものも身につけず駆けまわる。
それは目的もなくむやみにかけり廻る。
なんという恐怖の世界だ。
そこに円と思ったのは四角だった。
真っ直ぐと信じているものは実はことごとく曲がっているのだ。
自分が正しいと信じたものが、悉く不正であった。
美しいと思ったものは醜の塊であった。(大正八年四月二十二日)」

人間の暗い深淵を端的に表明し、絶対的ものを信じることの出来ない懐疑的で自己の内面に巣食う、
底知れぬ暗い領域を、深刻かつ真摯に見据えていたのではないかと考えられています。

「宇宙の意思と一つになること。
私が仏画を描いているのは、そこへ到達する修行に過ぎません。
製作は密室の祈りです。」

[享年52歳 11月11日逝去]
(中谷伸生『華岳』参照)


彼の根底に在る、沈鬱で深憂な途方もない恐怖からも新たな光を見出せ、解放されるような空
間。
華岳のことを思いながら、言葉でもなく、芸術でも、自然でもない
…ただこの空間に佇むだけで、晴れ渡るような密室の祈りになれないのか、
そんな妄想に耽りながら、新しいサロンの紹介に移りたいと思います。

5月末日、ついに銀座サロンの器が完成をしました。
プロデュースは、世界的に有名な橋本夕紀夫先生。
ナノプラチナの世界観を、見事なまでに表現してくださった感動的な空間を見ていたら、
ふとある人が言った言葉が頭をよぎりました。

「イスラム教のモスクは完璧な装置である。
ただ残念に思うのは、そのモスクはイスラム教というひとつの表現になったことである…」
と。

私がイスタンブールを訪れる度ごと必ず足を運ぶモスク。
セリミアジャーミーやブルーモスク、また小さなモスクはトルコの至るところに存在する。
そこには幾何学模様と精密に計算し尽くされた大小のドームを組み合わせ、

独特の空間を生み出しています。
ただ座っているだけで、満ちて沸き起こる心のざわめきは、
人間存在の深いところにある、
ある記憶の化学変化なのだと感じました。
ナノプラチナの器は、完璧な装置とはなれないかもしれないけれど、
少しずつこの器が人と共鳴しながら新たな孵化をし、
形を変えながら進化していくことを願い、
心より始まりを祝いたいと思います。